トップページ » デルブログ » 2009年01月

NEWS 2009年1月15日

知育とは — 1

第1節  知育とは

(1) 知ることの意味
[知]とは――――[知ること]なのだ !!
しかし もう一歩踏み込んで考えて見ると いろいろな問題が浮かんでくる。
人々の生活の歩み—–それを自然や環境をよりよいものに変えて行く日々の営みの歴史である—と 捉えるなら、孫子が言うように[他を知り己を知れば百戦危うからず]である。周囲の状況を知り、自分(の力)を良く知るものだけが、この戦いに勝って より豊かな生活(自由)を実現してきたのである。—–なっとくなっとくである。

そう考えると「知る」と 言うことは一口で言えば 周囲の状況を自分の内部に写し取り、この外部のものを内部のものに変えていく働き、であるともいえそうである。

では どのようにして己(内部のもの)を知ることが出来るのであろうか。自分の顔は自分だけでは それを知ることはできない。それを外部のもの(鏡)に写すことによってそれを知ることができる。同様に、自分の能力(内部のもの)は直接わかるものではない、けれどもその力で家(外部のもの)を完成させた時、その家が鏡となって、自分の大工としての能力(内部のもの)を知ることができるのである。つまり内部のものは外部のものに働きかけ、それをつくり変えると言う回り道をして、はじめてその内部のものを知ることが出来るのである。

(2) 宝物は—–?
よく福は内、鬼は外、などと言って、豆まきをすることもあるが、家の内に比べて[外]は比較にならないほど広いのである。—-どれほど広いか―――? 宇宙の果ての果てまで[外]である。そしてこの宇宙は一説では、大爆発(ビッグバ-ン)以来ものすごいスピ—ドで膨張していると言うから[万物は流転する]などというおとなしい物ではなさそうである。

家の内の子供たちの[福](しあわせ)について悩んでいる親は多い。 けれども鬼がはばたくこの激動の宇宙はおなじみが薄いようである。

竹中平蔵氏は、株や不動産より勉強が大切だという。毎日勉強を積み重ねて行くと お金よりもっと大切なもの(人生の宝物)がえられると説かれる。もし、この宝物が自分の外側の世界に在る<もの>なら、それはこの雄大で深遠な宇宙に隠されているにちがいない。勉強、[知]の力によってそれを掘り起こし、それが自分の内部ものになるとき時、鬼に代わってこの人間様が宇宙にはばたくことになるだろう。

それが自分の内側のものであるなら、それを見つけることは難しい、長い苦難の時代の回り道を経て、それを掘り出し、それが自分たちの[内部]の<もの>になたとき—-。そしてその時、「鬼」に代って「福」が我々人間様を支配して行くことになるだろう。——————————-

そんなうまそうな事を言っても つい先日まで 宇宙は、私にとってまったく関係ない夢物語そのものだったのに—-。

(3) 遠くて近いもの
この凸凹ブッロックが完成したとき それが遠かった宇宙を私に近かずけてくれた。この指先も、自分自身の生活空間も宇宙の無限の営みそのものであることを直感出来るようになってきた。
デルブロ遊びに熱中している子供たち

それな—??   カメラ-――    パチ——!!

camera001

camera001

その澄み切った瞳に[無限] という字が写っているように見えた。

知育とは遠くのもの(無限)を内部の<もの>に変えて行く その「おもしろさ」を育てることかもしれないと思った。


“知育とは — 1”へのコメント:4
  1. はじめまして。

    竹中平蔵氏の話は意味が少し違うように思います。彼にとって、勉強の話が株や不動産の話に優先しているわけではないでしょう。

    彼自身の勉強の先には金融工学がありました。新自由主義がありました。

    もちろん勉強すること、学習することは大切です。しかし、勉強すること自体が目的化しては、大切のものを見落とす危険性もあります。

  2. 私は相手の人が、新自由主義者だから、社会主義者だからということで、デッテルを貼って、その人の発言内容を部分的に排除するような立場はとりたくないのです。むしろ逆で、何主義者であろうともその人の発言内容の積極的な部分を(多少ニユアンスに違いがあったとしても)拡大しながら、お互いの財産として共有して行きたいと思っています。 竹中氏の例の論文(本)の中にも、そのほかに「目標を2つもて」とか{徹夜は知的生活の敵」と等、参考にすべきものが沢山あると考えています。これからもその目的が異なってっも手段(良い点)については、どんどん引用させてもらいたいと、思っています。
    そして(もうすぐ私の文章に出てくるのですが)、結局は最終的に手段(的)が[目的]を規定する。(目的てはあとから作られる)と言う私の論点にもとずくものであることを理解してはしいのです。

  3. 竹中氏が新自由主義者だから、その言葉を排除せよとは一言も言ってはおりません。
    またその人の立場がどうであれ、レッテルを貼って排除すべきだとも考えておりません。

    ただここで発言したのは「竹中平蔵氏は、株や不動産より勉強が大切だという。」という引用が文章の中で使われていたことに疑問を感じたからです。

  4. じゃあお聞きしますが「何が少しちがう」と言いたいのですか、彼自身の勉強の先に金融工学があり新自由主義があると書いているではありませんか、これは明らかに彼の勉強の目的が金融工学であり
    新自由主義(その線上うにあるもの)であるからブロックを知的道具として、「ものずくり」の素晴らしさを教えようとする私の目的とは、[目的」が(少し)違うと、言いたいのではないのですか、
    貴方は勉強すること自体を目的化することによって大切なものを見落とす危険性もあります、と書かれていますが、[大切なもの」とは何のことを言はれているのですか、 竹中氏も「竹中式勉強法](p47)の中でも「本来勉強は勉強すること、そのものが目的ではないのです」とはっきり
    述べられいぇいます。つまり氏もあなたと同様に[勉強すること自体」を目的化してはいけないと言っているのです。だから少なくとも論理的には貴方の心配は無用だと思うのですが—?
    いずれにしても、貴方が立場や目的の違う相手人の言葉の引用を[排除せよとは言っていない]と完全に否定されるのなら、竹中氏の本の表紙上で[株や不動産よりも勉強こそが人生の宝物だ」と明言されているのだから その文章をそのまま引用してどこに疑問を感じると言うのですか、むしろ「彼にとって
    勉強の話が株や不動産の話に優先している」と言う指摘は(彼はそんなこと一言も書いていないのだから)目的や立の場違いからくる憶測であり、デッテル主義的な排除論そのものではないでしょうか—–?。

コメントをどうぞ