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NEWS 2009年2月7日

知育とは — 3

第2節 子供は宇宙の宝物

(1) 体は金 理屈は銅

毎月1回の「オカンキ」のあとの雑談で デルブロの効用について意見をきいた。その中で内の住職(大学教授)が言われた、理論的に考えると 今まで私らが遊んできたブロックに比べて優れていることは間違ない、それがなぜ売れないか――? と首をかしげた。

みんなでいろいろ話しあった—-その結論は意外と簡単なものだった。

「コノブロックの良さ、知育玩具としてすばらしさが世のお母さん方に すんなり解ってもらえない」この一点尽きるのでゃないのか と言うことであった。そしてその最良の解決方法は――[しばらくの間使ってもらうこと] と言うことで 翌日から町外の近くの幼稚園を訪問してみることにした。

御免ください。 退職ま近い園長先生らしき人がでてきた。中へも入れてもらえず廊下でたち話—-「定員われで来年から閉園になるかも—–そんなに良いものかも知れんが 予算もないし それに今まで買ったのがB~Tブロックまで山ほど在る。」忙しいから帰ってほしいとの冷たいご意見!!—-しっぽを巻いて帰ろうかと思って振り向くと、かわいい園児たちが数人[先生さようなら 皆さんさようなら----] と丁寧にあたまおさげていた。先生のお顔がほころんだ。 そこで勇気をだして切り込んだ。

「かわいいですね———どんなしつけをされているのですか」 [別に---]と言いながら職員室へ入って行った。  失礼します、ずうずうしく強引に先生の後を追った。

窓際の三色スミレから 机上の造花まで―――誉められそうなものは全て誉めた。そしてねばった。 [絶対買わないから----それでもよっかったら置いておいき!!] 今まで味わった事のないみじめさが全身にしみた。——もう持って帰ろうかと思ったが--ぐうと歯を食いしばった。—–[一度でも良いから子供たちの手に触れさせてください。] (試供品ですから気を使わないで。) と園長先生に懇願して、田舎の古びた幼稚園を後にした。

それから—-1ケ月—-久しぶりに戸を叩いた。

[私の負けや、悔しいけど負けや!] 園長先生のハキハキした声が窓越しに響いて来た。

[子供たちの熱中する気迫に負けたんや----]、たかいきに買うつもりはなったんだが—–]

先生のお話によると、 年齢差の大きい[居残り組み]の扱いには どの先生も手を焼いていた——-ところが園に飽きている子供たちにも この凸凹ブロックを与えると 遊びに集中できる。——そのおかげで先生方も、ほっと一息つけて最高だ。と喜んでくれたという、

本当は2ケ―ス買いたいが やりくりがつかんので1ケ-ス置いといて—-との御返事

やはり、「体得は金」 [理屈は銅] のようであった。

2)「おもしろさ」 とは—-

気をよくして 最初の頃買ってもらった近くの保育所を訪ねて見ることにした。

時間を予約していたので 10人ばかりの子供たちがブロック遊びに興じていた。 「この人がみんなの大好きなブロックを作ってくれたおじさんですよと、紹介してくれた。 そしてあなた方は[遊びずくり]の天才ですよね と褒めながら 園児たちに質問をはじめた。

先生:ダイヤブッロックや他に沢山のブロックがあるのに 奪い合いまでしてどうして「このデルブロ」で遊ぶの—-

全員:そりゃあ—-「おもしろい」きんや!!

先生;どこが—-

全員:シイ-ン――――無言のうちに時間だけが過ぎた。 賢こうそうな一人の男の子が手を上げた

男児:このブロックは目当てを『先に』つくらんでええからや!!

先生:どういうこと―――? よくわからん

男児:レゴのような他のブロックは上箱に「ロボット」、「戦艦」、「お城」—-等その作る目当てしての「デザイン」が先に書き込まれている。その中に材料がそろっていても それをどのように組み立てていくか 僕らにはわかりっこないのです。だから大抵はその組み立ての手順をかいた設計図が付けられ、それを見ながら作っていくのです。

けれども それは言わば、猿真似で つくって行く時の勘違いや工夫などで突然起こる—-その「おもしろさ」、(もの)つくりの良さというものがなくなっていると思うのです。

先生:デルブロでは

園児:いろいろ作っている内に自分のお気に入りのものが、あとから目当てとして生まれて来るのです。

例えば三個のピ-スを選んで、いろいろ組み合わせていると その中から    家の形の<もの>が出来 更に積み重ねて行くと自然とビルが出来る。それを2個のピ-スで補強すると、ロケットができる。そして、さかさまにして花弁を付けると、お花に変身、——–。このような自然な流れの中での、工夫によって 『目当て』がどんどん作られて行く、—-そこに『後から』 目当てがつくられる『おもしろさ』が隠されていると思うのです。

先生:けどそんなに、まあり道をしていると、

園児:確かに一回だけを取り上げると、そうかも知れん、だけど僕たちのように毎日何回となく作っていると、頭の中に何か「財産」のようなものが出来て行く その中から今、作りたいものに近い形のものを取り出し、それに次のピ-スをいろいろ工夫しながら結合して新しい「めあて」を完成させる。だからそこには工夫による『おもしろさ』と「スピ-ド感」もあるのです。

先生:私たち大人は『先に』目当てを作り、それにむかって材料を集め、組み立てて行くことが、それを実現するための最善の方法だと、信じて疑わなかったんですが—–なるほど!!

この話を聞いていてつくずく思ったのですが、意地悪やバトルゲ-ムなどは、ともかく

<もの>ずくりに『おもしろさ』がなければ 「やるき」も集中力も子供たちにはそだちにくいのではないのかと。

3)幸せ感

夕食を食べながら、今日のお話し合いのことを思い出していた。 確かにその「ブロック」遊の「おもしろさ」も子供たちが、それに根中できる大きな理由であることは間違いない。でも集中力の見事な継続は、たんなる『おもしろさ』だけではなさそうである。—-いろいろ考えてみたが―――――思考が途絶えてしまった。テレビのスイ-チを、押した。

そこには、「ガン」と闘っている若い女教師の「すがた」があった。。限られた時間をどおいきるか――静かに子供たちに語りかけていた。—-そして最後の 私にとおって 幸せとは『明日があることです』との笑顔が私の胸をえぐった。———-

その時ハ-ットきずいた。 ああそうか!!そうなんだ。『明日』は、いつまでも『明日』なのだ。 だから「明日がある」とは「、無限に生きる」ということなのだ。

—–そして涙に咽びながら ふと思った、

子供たちもそうではないか『目当てを先にせんでもええ』――『目当てを後に』すれば<もの>ずくりの『無限性』がいきて来る。幸せとは「明日に生きる」こと 『無限の中に生きる』 ことなのだ。—–この幸せ感が「集中力」を支えているのかも知れない。 我々のように70歳を過ぎると「ガン」の患者と同じように、限られた命の時間は次第に極限に近ずく、幸せが無限であるとすると 不幸と言うことになる。 しかし残された時間が少なくなればなるほど 人はみなその一瞬に無限を発見し その中に生きようとする。

くろ金も 黄金も玉も

何にせん

まされる宝  子に しかめやも。     山 上   憶 良

こどもは 命の無限を 托せる宇宙の『宝物』かも知れない。


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